書きたいこと

書きたいことを書いたり書かなかったりします

KOM-我等が真の王とは誰か(ネタバレ有り)

まず始めに皆さんに伝えたいことは

ゴジラは王である

ということだ。

 

ここで

「は?wwwゴジラゴジラだろwwwwwww何言ってんだこいつwww」

となった方は恐らく未視聴か、上映中寝てたか、あまりの良さに記憶を消してまた観たくなったかの三択なので今すぐブラウザバックして劇場に向かって頂きたい。

 

 さて、話は変わるが私は正直言って始めは全くこの映画に対して期待をしていなかった。

「ハリウッドが我らが日本のゴジラを理解できるはずがない」

「どーせチープな人間ドラマの当て馬に使われるんだろ?」

「やっぱマグロ食ってるような奴はダメだな」

そう考えていたし、まぁ公開当日暇だったから一応行っておくか、くらいのノリで観に行った。

果たして、その懸念は半分は当たっていたように感じた。

 

正直に言って、今作の人間ドラマは非常にチープであると言わざるを得ない。

  • 大層なジャングルの奥地に住んでいて、オルカなどと言う危険極まり無い装置を作った上で処分をきっちりしない上、オルカの捜索に協力してくれとわざわざ芹沢博士に要請されたにも関わらず、付いて行くだけで何もしない父親
  • 最初は被害者っぽく出てきたが、全ての元凶であり(作中では語られなかったがモナークの基地の情報を流したのも恐らく彼女)、各地の怪獣を謎理論と息子のためという理由で呼び起こしたにも関わらず、その後始末もせず、最後には独断で囮になる最初から最後までやりたいことしかしない母親

劇中で兵士の1人が「こんなのが両親なら俺だって家出する」と言ったが、恐らく観客全員がそう思ったことだろう。私も家出する。

こんな調子で映画の前半が進むものだから、

「やっぱり日本の感性とアメリカの感性は違うんだな」

と落胆さえした。

 

しかし、映画の後半に私はとんでもない勘違いをしていることに気がついた

 

ひたすら揺れ続ける画面、鳴り響く轟音、ビカビカした光と炎と破壊、それらが一体となって私に襲いかかってきた。

各怪獣の登場時にはしっかりと各怪獣のテーマがモダン風にアレンジされ流れ、お馴染みのオキシジェンデストロイヤーや芹沢博士が登場する。

芹沢博士の「さらば、友よ…」のセリフの後、お馴染みの「テケテンテケテン…」のBGMの中復活するゴジラに鳥肌が起きなかった人間は恐らく居ないだろう。

バーニングゴジラとなってキングギドラと戦うシーンでは、全ての人に「真の怪獣の王とは誰か」を思い知らせ、刻みつけたことだろう。

 

このオマージュとリスペクトが満載の、俗っぽくいえば「分かってる」描写の数々によって、観客は圧倒される。

 

そしてラストシーン、今まで暴れまわっていた怪獣達がゴジラにひれ伏し、タイトルが大きく出てきた時、私は思い出した。

この映画のタイトルは GODZILLAであり、主役はマークなどという矮小な人間ではなくゴジラであるということを。

 

そう、これはゴジラの為に作られた映画であり、ゴジラが如何に強く、どれほどカッコ良く、全怪獣の中の王に相応しいかを伝えるための映画だったのだ。

前半部で、「ゴジラが人間ドラマの当て馬になる」と書いたが、それは最早杞憂であった。

何故なら、我々人間の活動こそがゴジラのカッコ良さを強調する為のものであるからだ。

 

そう考えれば、この人間ドラマにも意味があることに気がつく。

父親は、何もしないのではなく、間近で怪獣と対面することによって我々観客に対してゴジラや他の怪獣に恐ろしさを伝えてくれる。

母親は、怪獣達を目覚めさせることによってゴジラが活躍し、カッコ良い場面を演出するための環境作りを整えてくれる。

そう、今回の映画の人間ドラマは、ゴジラを最もカッコ良く見せるための演出を追求すると今回はたまたまこうなった、と言うだけに過ぎない。

言うなればハンバーグの付け合わせのパセリみたいなものであり、それをチープと批判するのは、パセリが苦いと文句を言うようなものなのである。

 

今までストーリーについて書いてきたが、各怪獣のまるで実写かのような表現も非常に素晴らしかったと思う。

キングギドラの一目見て強者とわかるフォルム、ギラギラ黄金に光る体、ゴジラに食い千切られてなお再生する頭、恐ろしくも美しい破壊光線。

ラドンの赤熱する翼やクモンガの黒光りする足やモスラの美しい羽根。

そして何より我等が王、ゴジラの恐ろしき破壊光線。

これらが非常に美しいCGで描かれており、我々は劇場に居ながらにして世界中で活動する怪獣達の勇姿をすぐ近くで見ているかのように体験することができる。

映画のクレジットに、ゴジラキングギドラモスラ、と各怪獣が書いてあり、俳優欄に「himself(彼ら本人)」と書いてあった時、私は「ああなるほど、だからあんなに恐ろしかったのか」と納得してしまったほどである。

 

他にも語りたいことはまだまだ沢山あるのだが、書いていると映画をもう一度見たくなってきたのでそろそろここで筆を置きたいと思う。

最後になるが、これほど素晴らしい映画を制作してくれたマイケル・ドハティ監督とスタッフ達には深い感謝を伝えたい。

 

本当に、ありがとう。